http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F
こういう人です。
第15軍司令官に就任し、昭和19年(1944年)3月から開始された「インパール作戦」←ここ重要
では、ジャングルと2000m級の山岳が連なる地帯で補給を軽視した作戦を立案した
危惧通り作戦が頓挫した後も強行・継続し、反対する前線の師団長を途中で次々に更迭した。
一介の中将に過ぎない牟田口が本来親補職(天皇より任免される職)である師団長を独断で
更迭することは、前代未聞の事態であった。ビルマ方面軍司令官河辺正三中将はこうした惨状を前に
「こんなことで作戦がうまくいくのか?」と疑問を呈したというが、
口を差し挟むことは行わなかった(河辺は盧溝橋事件の際も牟田口の上官であった)。
またこのとき、
『戦況の悪化、補給の途絶にともなって第31師団長佐藤幸徳中将が命令を無視して
無断撤退するという事件を引き起こした。』←ここ重要。
なお、
『補給については牟田口は、牛に荷物を運ばせて食糧としても利用するという
「ジンギスカン作戦」を実施させたが、もともとビルマの牛は低湿地を好み
、長時間の歩行にも慣れておらず、牛が食べる草の用意もおぼつかなかったため、
牛はつぎつぎと放棄され、ジンギスカン作戦は失敗した』←ここ重要
牟田口は作戦が敗色濃厚と知るや、15軍の撤退を待たず「北方撤退路の視察」を名目に
『敵前逃亡』した。←ここ重要
戦後は東京都調布市で余生を送るが、インパール作戦失敗の責任を問われると、
「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と牟田口は頑なに
自説を曲げずに自己弁護に終始した←ここ重要
部下の葬儀に際して、『インパール作戦で自身に責任がなかった旨を
強調する冊子を配布した話が伝わる。』←ここ重要。
まるで、秀英の○○担当のす○○○さんみたいですね。
8 名前:名無しさん@クオリティー [2007/09/17(月) 01:50] 日本軍史上、現代に至るまでこれほど酷評され、
擁護する人間がいないのは、将官、将校では稀有な
存在であるといえる。
撃つに弾なく今や豪雨と泥濘の中に傷病と飢餓の為に戦闘力を失うに至れり。
第一線部隊をして、此れに立ち至らしめたるものは実に軍
と牟田口の無能の為なり(第15師団長山内正文の戦闘詳報)
1、インパール作戦失敗後、自ら建立した遥拝所に幹部将校を集めて懇々と
一時間以上に渡って訓示を行ったが、幹部将校達は栄養失調で立っている
ことができず、バタバタと倒れた。
2、将兵からは「馬鹿な大将、敵より怖い」と罵られ、「鬼畜の牟田口」と
呼ばれていたと伝わる。
3、陸軍悪玉論では、常に悪玉の筆頭に挙げられている。
9月1日が経過し、生き恥を更に塗り重ねるスレ主。
知らないよ。
書き込みをするには、注意書きをよく読んでからにしてください