雑談ばかりでいやです。
43 名前:望月古亶 [2008/06/24(火) 19:07 ID:rfh8ouJU] 坂本太郎さんの「列聖漢風諡号の撰進について」という史論に次のような記載がある。
《漢風諡号が実際に世に行われたのはいつからであるか。これが制定もしくは実施を明
らかにしたものこそないにしても、
史料の検討によってはおよそその時代を彷彿することができるであろう。いま管見の及
んだそれらの史料を次にあげてみよう。
一、懐風藻(天平勝宝三年十一月撰) 文武天皇
二、続日本紀天平宝字三年六月庚戌詔 聖武天皇
三、武智麻呂伝(天平宝字四年以後の撰) 天武天皇
四、続日本紀天応元年六月壬子土師宿禰古人等上言 纏向珠城宮御宇垂仁天皇
五、同天応元年七月癸酉栗原勝子公上言 神功皇后
六、同延暦九年七月辛巳津連真道等上言 神功皇后、軽島豊明朝御宇応神天皇、
…
右のうち文武・聖武の二つは初めにも述べたとおり、除外例を要求せられるものであるから、いまの一般論ではしばらく
問題を別にして、武智麻呂伝は撰時が定まらないから、これも論外とすれば、漢風諡号一般の初見はまず天応元年六月であり、
天応・延暦の間にようやく世に行われたとする昔からの見解を再認しなければならぬであろう。》
ところで天平勝宝三年(751)に成立した『懐風藻』の序には次のように
書かれている。
《…橿原建邦の時に、天造草創にして、人文未だ作らずありき。★神后坎を
征し、品帝乾に乗じたまふに至りて、
百済入朝して、…。★聖徳太子に逮び
て、爵を設け官を分かち、…》
頭注に「神后」は、「神功皇后が西征即ち三韓征伐をされて」とある。
もちろん「文武天皇」もでてくる。したがって、『懐風藻』には漢風諡号が
三つすなわち神功皇后、聖徳太子、文武天皇があるので、
文武天皇は例外とはいえないのである。
さらに「神功皇后」が「神后」に変化する時間の経過を考えれば、坂本太郎
さんが主張する淡海三船撰上説は
間違いだといえる。天平勝宝三年(751)に30歳そこそこで神武天皇等
の漢風諡号を撰上することは考えられないといわざるをえない。
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書き込みをするには、注意書きをよく読んでからにしてください