- 1 名前:名無しさん [2006/02/16(木) 23:10]
- よろしく。
- 37 名前:名無しさん [2008/11/01(土) 19:40]
- 学会歌 紅の歌
一、 ああくれないの 朝明けて 我先帰りぬ 牙城会 またラーメンか 腹鳴らせ 驕れる金なら 財務せむ 邪悪の徒には 栄えなし 創価の正義に 民怒る 二、 名誉毀損の 人殺し 闇へ葬る あの人を ヤクザに頼んで 口封じ キミよ大樹と 仰ぎ見む ああ懐かしの キンマ〇コ 池田の失言 指差され 三、 老いたる父母の 残したる 香典の束をいざ 盗み抜け (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 38 名前:中村 [2008/11/21(金) 22:47]
- お前らは顕正会の手先としか思えない!どいつもこいつも洗脳されたロボットみたいだな
- 39 名前:涼 [2008/11/22(土) 21:08]
- まあ、理解できない人はそれはそれでしょうがないかもしれない。
色んな方がいますから、自分は生まれたときからやっていて、正直、 やめたいときもあった。(学会の批判の方が多かったから) しかし、たまたまテーブルの上においてあった「池田大作の軌跡」 ってのをちょろっと読んだんだけど、特に何も意識してないのに「スゲー」 って思えて、(本当に意識しないで) 改めて学会の見方が変わったよ。こんなに理解したのは初めてでこの本には 驚いた。でも、個人的な意見で批判も大切だと思う、どの組織も批判あってこそ 発展が望めるんじゃないかな? その中でも少しでも言い分がある人は本屋で「池田大作の軌跡」を ちょっとでもいいから読んで、それに不満があるならそれでいいんじゃん 色んな考えがあるから、理解できない人がいて当たり前。
- 40 名前:名無しさん [2008/11/23(日) 07:23]
- 顕正会≒創価学会
同じ穴のムジナ 同族
- 41 名前:涼 [2008/11/25(火) 21:29]
- ん〜、最初は皆同じ日蓮宗だったんだけど、
途中から分かれたんだよ。俺もまだまだ知識があいまいだけど、 顕正会と創価学会はまったくの正反対、これは確かだよ 学会員の人は断固として顕彰会を否定してます
- 42 名前:名無しさん [2008/11/26(水) 22:04]
- あ
- 43 名前:名無しさん [2008/11/29(土) 21:33]
- 「池田大作の軌跡」なら本屋で立ち読みしたことあるけど、
内容は聖教新聞のダイジェスト版という感じで、著者の感想を述べたもの ではないね。殆ど印象に残ってないな。ま、ざーと目を通しただけだけど。 ちょっと検索したら、↓こんな評伝が目に止まったよ。相変わらずと思う。 「当時病状が悪化していた周恩来総理が重病を押してでも会見したいと望んで、 池田名誉会長との会見が実現したエピソードには感動した」 >当時病状が悪化していた周恩来が重病を押してでも会見したいと望んで、実現」 何が相変わらずかというと、「針小棒大」なところ。
- 44 名前:名無しさん [2008/11/30(日) 22:35]
- 「池田大作の軌跡」って潮出版だお 誇張されてるに決まってるじゃん
周恩来という外的権威を利用して池田センセを持ち上げ過ぎ そんな書籍つまんない。 でわ中立的な文献を紹介しましょう。 中国共産党中央文献研究室勤務 兼 中国史学会会長の 金冲及著『周恩来伝』(岩波書店) に手術後の周恩来の様子が詳しく書いてありました。
- 45 名前:名無しさん [2008/11/30(日) 22:43]
- >1974年7月5日、周恩来は入院後初めて、病院で外国の来賓と会見した。
>アメリカ民主党のヘンリー・ジャクソン上院議員夫妻である。 >頻繁な客との面会・談話・書類審査などのため、手術後間もない周恩来は >まともに休息もとれない状態だった。 >11月1日から3日にかけて、周恩来は3回に分けて、北京在住の政治局員による >会議を開催し、風慶号事件問題の解決に当たった。 >12月21日、周恩来は北京在住の一部中央局員を集めて会議を開き、(略) >12月23日、中央政治局の意見をもとに、周恩来、王洪文は長沙に赴き、(略) ↑ご覧の通り、1974年12月5日の「一期一会の歴史的会談」は載ってなかったです。 ま、客観的に見れば、池田さんも「頻繁な客の一人」といったところでしょう。 ↓ついでに、どこかにパクられたと思われる文章を載せておきます。 >1975年9月7日正午、すでに病状が非常に悪くなっていた周恩来は、医師の >制止を振り切ってイリエ・ベルテッツの率いるルーマニア党・政府代表団の全員と会見した。
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